土井先生が、TV番組「おかずのクッキング」を終えられたとの事。ずっと見ていたわけでもないけど、淋しくもある。後進に道を譲られたのかなとも思うし、この所のご活躍を見るに、ご自身でやりたい事、伝えたい事をやっていかれるのかなと思う。

一汁一菜でいいという本を出版された頃かと思うけど、SNSで、心の土井先生というワードがあり、なんでも、心に土井先生に居てもらうと、大抵のことは「ええんですわ、こんなんでええんです」と言ってもらえるらしい。いいアイデアだなと思って私もそうしている。
おかずのクッキング出演最後で、出汁巻き卵。手早くくるくるとまとめていくのを、難しいけど、ときどきやっていくと出来るようになるんです。出来るもんならやってみなはれ。という具合で終えられたらしい。
たまたま見かけたピアノの先生の話と通じるところがあって、指導者として、出来る方は自然にこれが出来るんだろうなと不思議に思った。
とあるピアノの先生は子供にバイエルの難しいところを教えるときに、ここはみんな出来ないんだよねーと言うらしい。すると子供は、そうなんだ、じゃあ自分が出来たら先生びっくりするかな?と勇んで取り組むのだろう、難しいと言われた事に自ら取り組むらしい。恐おそらく、先生は、褒めるというより驚いて喜んでくれるだろう。そして、それが嬉しいと子供は思うだろう。
その気持ちは、なんとなく今でもあると思う。いくつになってもあるのかもしれない。
褒めて育てるというのは、失敗を過度に恐れるようになったり、褒められないとやる気にならなかったり、褒められても当然だと思い、褒められないと怒りに変わったりと良くない影響があるという研究結果も出てきている。それは皆、何となく体験として分かるのではないだろうか。
結果をではなく過程を褒めろとか、そういう技術的な事もいるかもなのですが、ただ相手がびっくりして喜んでくれたら、嬉しいなと思う気持ちがある。驚かせたいなという気持ちがある。
私たちの純粋さは、褒められるために何か頑張ったりするものではない。条件付きで喜んでもらうために努力するものではない。
料理というのは、理を料るものと書くところに深い意味がある気がしてならないと言ったのは魯山人ですが、料理は本当に色々な事を学べる素晴らしいものだと土井先生は、ずっと教えてくれていたと思います。長い間ありがとうございました。
またこれからも様々な所で教えを目にする事があるだろうと思うと、楽しみです。