Forest

自粛による閉鎖中で、誰もいない森をお散歩。

※ちゃんと、駐車場で警備の人から犬の散歩はOKをもらいました。

静かでいいね。

閉鎖の理由は、キャンプ場と公園があるから。

普段なら混み合うキャンプ場も無人。

日陰があって本当に心地いい。

それでも駐車場手前や、中でこっそりテント広げてBBQやってる人もいて。

いけない事だからダメでしょって気持ちよりも、

普段から家で何か自然に触れられたり、BBQのような開放的な食事を人としたり、出来ればいいのにねと思う。

しかしキャンプは楽しいだろうけど、あんなに色々なカラフルさや、道具を使うのは面倒くさい。

このところ、防災道具としていくつかキャンプ用品を買って、

お米くらい火で炊けるようになっておこうと練習している。

犬連れでデイキャンプ出来る所も探してみようかな。

散歩して、ご飯食べて、昼寝して。

2頭目をそろそろ迎えたいなという気持ちもあり、ますます外に出る機会、しかも人のいない所に行く事は増えそう。

徒然に独り言。

世の中には犬を通じて人と人とのコミュニケーションを楽しむ人も多い。

アジリティやドッグラン、同じ犬種のコミュニティも。

なんか、そういうの本当に嫌になってこの10年、近所の顔見知りの飼い主さん達とも会釈したりこんにちはの挨拶するくらい。

私は犬と遊びたいのであって、犬で友達を作りたいわけではなかったみたい。

そして犬との絆は、自然の中でしか育まれないようにも思う。

依存しすぎず、お互いを信頼していられる、健全な絆。

街中では私のトレーニング不足で、ぐいぐい引っ張るクロエちゃんも、

山や海ではちょっと前を歩いたり、横に付いてゆっくり歩く。

気になる匂いがして嗅いで遅れても、すぐに走ってやってくる。

先に行っても待っている。

犬と散歩していて、この絆を感じるのが好きだ。

犬とは言葉でのコミュニケーションではない分、温度のような、光のような、空気のような何かで伝わるものがある。

楽しいね、と。

仕事で、障害者に対しての合理的配慮というものを考える部分があるのだけれども、障害がある人が暮らしやすい社会なら、誰もが暮らしやすくなるだけなのになと思う事がある。

車椅子も、ベビーカーも、自転車も、子供も老人も通りやすい道なら、誰もが通りやすい道でしかない。

そう考えていると犬にも優しくしてほしいなと思う。

夏でも歩けるような木陰や、公園や、自然が多くて、遊具のない広場や、芝生が街中にあれば、それは犬だけでなく人も嬉しいでしょう?

街中でいつでも木陰で休憩したり、芝生で寝そべったり、庭やテラスでBBQも食事も出来るなら、閉鎖されキャンプ場の周りで、密集してデイキャンプする事も無いでしょう?

配慮が必要とされる人にとって優しい社会というのは、全員に優しい社会でしかない。

自分が我慢しすぎると人にも厳しくなりがちだから、みんな色々我慢しすぎなのかもしれない。

森に向かう途中、ちょうどTVではコロナ禍の社会について、ある人がメンバーシップ型の日本の会社勤めは孤独を感じやすいという話をしていて、ジョブ型の欧米の会社はそれを感じにくいと言っていた。

友人や家族、子供の頃からや学校に行ってからの関係ともゆるくつながりを保っていると、いいと言う。趣味やなんかでの繋がりもいいと。

ただ、いろいろな事情で家族や生まれ育った場所や、過去と分断された状態で生きている人の場合、何処にいても孤独からは逃れられないよなと思いながら話を聞いていた。

なので、そういう人は仕事や、利害関係であるはずのものに縋ったり依存したりする。

時に人が犯罪者の繋がりの中で生きる羽目になるのも、やはり人は孤独に生きる事自体が苦痛だからだろうなと思う。

そして利用されているとしても、離れる事が難しい。

と、取り留めないことを考える。

たまたま昨日読んだ漫画の、九条の大罪が面白くて残っていたのと、この番組の前に太宰府主婦殺人事件の特集を見た事が重なってくる。

私は、運良く逃げ出せた側の人間だ。色んなものを捨てざるを得なかったから、孤独はその代償だと思っている。

温かさや、繋がり、絆が人間には必要で、大切な事だと分かっているけれども、世の中には悪意が淀んでいる場所もある。どんな場所にも、どんな人にも。

それでも善意を信じて動く人はいて、それは人の社会の美しさだと思っている。

太宰府の事件の特番を見ていて、佐賀県警の良心の無さにはさすがにうんざりしたけれども、加害者側の1人が、自分のやった事は恐喝で、あの時恐喝で自分と加害者女性を止めなかった佐賀県警は共犯も同然やね、というような事を言っていたのが本当に呆れた様子でとても良かった。

人と人との繋がりは、良いことばかりでは無い。

人が良い方の繋がりを強化できるようにサポートするのが、ある意味私の仕事の一部。

それでいて、自分は、どうなのかな。

絆はあると感じられるのならいいが、求めるものではないな、とだけは思う。愛や幸せも同様に。

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