宝石の国

宝石の国(8) (アフタヌーンKC)

このところエゴについて考えているので、

この漫画が面白い。

以下考察と感想。

シロは、撫でて欲しかっただけで、撫でてもらったら満足して消滅していった。

パズルは、遊んで欲しかったのか、盤に駒を並べると消えていった。

月人は祈りが必要だと言う。質は問わないと言うけれど、先生が祈る事をやめたのは何故なのか。

消えていったパズルに、お前たちは優しいなと言った、お前たちとは、シロとパズルを指しているのだと思うけれど、満足して消えて言ってくれるのが優しいと言うことは、優しくない存在がいると言う事で、それが月人を指しているのか。

もしくは、人間を指しているのか。

作った後のことを考えなかったという事に、先生は傷ついているように見える。

もし、祈り、月人が全て消えてしまったら、先生はどうなるのか。辛くとも、月人を必要としているのは先生の方なのか。

魂が完全に分解されて、別の宇宙へ吸い込まれて行くというのは、無の世界へ行くという事で。輪廻から離れて解脱するという事だけれど。

月人が、誰からの祈りも得る事が出来なかった個体であるという事と、かぐや姫の話のモチーフにある、罪と罰は関係があるのだろうか、とか。

悩み、苦しみ、喜びも哀しみも全て、穢れであり罰なのだからどんなに求めても、得られないのか。

月人が、得られなかった祈りに執着している事が、消滅できない理由なのか。

祈る行為もしくは気持ちを知る必要があるのか、もしくは、もう一度輪廻をやり直す未来が待っているのか。

エゴは人にとって生きて行くために必要だったけれど、今は持て余して、自分を殺してしまうものになってしまった部分がある。

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