祝っていた / レ・ロマネスク

祝っていた / レ・ロマネスク

私の人生にはプログラムがある。
その中でも、これは本当に難しいと思うのが、自分がこうしたいと思うことの逆を手にすること。
「こう思って当然」「普通はこう」だから、「自分は悪くない」「自分は間違っていない」と思っている時。
それで問題がなければ構わないのだろうけれど、どうも上手く行かなというか、気持ち悪いというか、何か違う事だけがわかる時だけがある。
どんなに頑張っても焦りや不安、苦しさは増すばかり。
自分は間違っていないはずなのに・・・。
そんな時に一種の荒療治として私は逆説を選択するようにしている。

何でこんなことをしなくちゃいけないの!?
必要ある!?
意味がわからない!!
という心の声を無視して。

だいたいにおいて、心が正直だとは限らない。
心は時々私を騙すし、気をつけていないと言い訳や正当化ばかりして、楽な方にやろうとする。
その楽な方が、本当に私の楽になるのか?
用心が必要だと感じる。

それに自分が正しいと思って必死な時ほど滑稽なものはない。
(私にとって他人の必死さは滑稽にも思えるけれど、不思議な美しさもある。これはなぜ違うのか謎)
その上で滑稽だと笑えるようでありたいとも思っている。
苦しい自分は手放したい。

レ・ロマネスクの「祝っていた」を聞いた時、なんとなくそのことを思い出した。
真剣に悩んだり、苦しんだりすることを人はなかなかやめられない。
悪いこととも言わないし、必要なことだろうとも思うけれど、自分で止めることができない程だと、理由はどうあれおかしいんじゃないかと思う。つまり病気なんだろうと思う。
少しも楽しくないのに止めることができない、その狂気。

見る角度を変えたら変えたらこんな感じかな、と思う。
ある意味心を騙すやり方かな、とも思う。

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